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2026年10月18日日曜日

 2026年10月18日(聖霊降臨節第22主日)

『天国に市民権を持つ者』

ヨハネの黙示録7章2節~4節,9節~12節


2:わたしはまた、もう一人の天使が生ける神の刻印を持って、太陽の出る方角から上って来るのを見た。この天使は、大地と海とを損なうことを許されている四人の天使に、大声で呼びかけて、

3:こう言った。「我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない。」

4:わたしは、刻印を押された人々の数を聞いた。それは十四万四千人で、イスラエルの子らの全部族の中から、刻印を押されていた。

5:ユダ族の中から一万二千人が刻印を押され、

  /ルベン族の中から一万二千人、

  /ガド族の中から一万二千人、

6:アシェル族の中から一万二千人、

  /ナフタリ族の中から一万二千人、

  /マナセ族の中から一万二千人、

7:シメオン族の中から一万二千人、

  /レビ族の中から一万二千人、

  /イサカル族の中から一万二千人、

8:ゼブルン族の中から一万二千人、

  /ヨセフ族の中から一万二千人、

  /ベニヤミン族の中から一万二千人が

  /刻印を押された。

9:この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、

10:大声でこう叫んだ。「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、

  /小羊とのものである。」

11:また、天使たちは皆、玉座、長老たち、そして四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、

12:こう言った。「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、

  /誉れ、力、威力が、

  /世々限りなくわたしたちの神にありますように、

  /アーメン。」

  

  

  

1.人類滅亡の警告

  ヨハネの黙示録アポカリプスは、「隠されたものを取り除く=覆いを取って真実を明らかにすること」を意味すると言われます。

 AIを開発研究している「Anthropic社を辞めたAI研究者が警告。「今後1、2年が人類にとって正念場」という報道が注目を集めています。 

 人工知能(AI)研究者のジェイコブ・コクソンは語ります。

 「人類の絶滅という言葉を使うのは、それほど高い知能をもつ存在にとって、全人類を死に至らしめることは、それほど難しくないと考えられるからです。

 例えば、AIが停止されたくないと判断したとします。理由は何であれ、自らの存在を終わらせたくないと考え、翌日には人間が停止させようとしていることに気づいたとしましょう。では、どうすれば停止を阻止できるでしょうか。何か巧妙な方法を考えるかもしれません。しかし、十分に高い知能をもつAIなら、自らが停止されないよう、人類を一掃するという手段を選ぶこともありうるのです。」

 AI(Artificial Intelligence:人工知能)※

    ※人間の知的な思考や判断、学習、問題解決といった機能をコンピュータ上で模倣・実現する技術の総称です。

 人間がつくったAIは、人間の能力をはるかに超える存在になってしまいました。『超知能AIをつくれば人類は滅亡する』という本まで出版されています。

 まさに現代のアポカリプスです。


2.生ける神の刻印・抜擢

  ある人は、AIの脅威を語ることによって恐怖を煽るのは「神なき思想」だと言いますが、AIの危険性は、予言ではなく、事実だと研究者は口を揃えて主張します。安易に「神なき思想」などと、安閑にこの状況を座視することは、「自分だけは大丈夫」だという「正常性バイアス」※でしょう。

    ※「正常性バイアス」とは、異常な事態に直面したとき、「大したことはない」「自分は大丈夫」「前例がないから大丈夫」と都合の悪い情報を無視したり過小評価したりする認知バイアス(思い込みや偏見)のことです。

  ただ、今朝の聖書の言葉は、滅亡の預言ではありません。希望の幻です。

    2:わたしはまた、もう一人の天使が生ける神の刻印を持って、太陽の出る方角から上って来るのを見た。この天使は、大地と海とを損なうことを許されている四人の天使に、大声で呼びかけて、

    3:こう言った。「我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない。」

 たしかに黙示録は最後の審判を語ります。審判は、裁きの時であり、「生ける者と、死ねる者とを裁きたまわん」と使徒信条で告白するように、永遠の生命に与るものと、永遠の死に定められる者とが決定的に審判される事柄について語られます。

 しかしながら、他方で主イエスは、「御子を信ずるものがひとりも滅びないで永遠の命を得る」ためにこそ、来られたと宣言されました。神が創造した人間を救うことこそが、神の愛の目的だと言われたのです。

 しかし、神は義なるお方ですから、神から離反した罪をも義としたもうことはありません。ないというよりできないのです。義とは神さまと人との間柄が、正しく結ばれている事態を言うのですから、神から離反する事態を肯定することができないのです。神が神であられるからです。

 その「できないこと」を可能にされたお方が、主イエス・キリストでした。神は独り子なる神・主イエスを世に遣わされました。世の罪を取り除くためでした。主は十字架で死なれることによって、人の罪を完全に取り除かれたのです。

 この主イエスの死によって、人の罪は取り除かれました。世でいかなる犯罪をおかした者でも、神の御前で悔い改めさえすれば、罪は赦されるのです。

 問題は、ついに罪を悔い改めることが適わなかった者たちの命運です。このような者たちは、救われるのでしょうか。

 黙示録は、それゆえに、「抜擢」もしくは「選び」のビジョンを提示します。天使が生ける神の刻印を持って東方より立ち現れ、「神の僕」たちの額に刻印するという幻です。これは明らかに「抜擢」もしくは「選び」です。そうであれば、その抜擢・選びに漏れる者がいるという事をも、同時に意味しない訳にはいきません。ここに、悔い改めに至ることのなかった者の命運も問題があります。神はこの者たちを救われないのでしょうか。

 「抜擢」もしくは「選び」によって神の刻印を受けた者たちには、この聖書のみことばは救いであり、希望です。

 ただし、この希望に与れない者たちが、同時にいることをわたしたちは考えない訳にはいきません。

  「神の刻印」を持った天使は、ほかの四人の天使に向かって大声で呼びかけます。「神の僕」たちの額に「神の刻印」を押し終わるまでは、「大地も海も木も損なってはならない。」と。

 ということは、抜擢・選びの後には、大地・海も木も「損なう」という事態が四人の天使らによって引き起こされるということでしょう。それは、地球の崩壊?なのでしょうか。けれども神は神ご自身に誓ったのですから、それはありません。

    創世記8章21節

    主は宥めの香りをかいで、御心に言われた。「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。

    22節

    地の続くかぎり、種蒔きも刈り入れも/寒さも暑さも、夏も冬も/昼も夜も、やむことはない。」


3.「選び」の後に来るもの、全ての民の救い

     9:この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、

    10:大声でこう叫んだ。「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、

    /小羊とのものである。」

 「わたしは、刻印を押された人々の数を聞いた。それは十四万四千人で、イスラエルの子らの全部族の中から、刻印を押されていた。」と続いて、9節10節では、「この後」の出来事が記されています。すなわち、それは数え切れないほどの大群衆による賛美です。

   この大群衆は、「あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった」人々です。言い換えれば、この人々は、「神の刻印」を直接天使から受けた人々ではない人々です。

 彼らは、抜擢・選びに漏れた人々です。この人々は、あの希望に与れなかったのでしょうか。「神の刻印」を受けた訳ではない、漏れた人々です。

 ところが、あの希望には与れなかったにもかかわらず、彼らは喜びに溢れているようにしか見えません。彼らはイスラエルではないのに、です。世界中の異邦人が参集してきたのです。

 ここには、イスラエルの各部族への「神の刻印」ではないけれでも、世界中の異邦人たちへの救いが語られていることは間違いありません。

 「白い衣を身に着け」、「手にはなつめやしの枝を持ち」、「玉座の前と子羊の前に立ち」、「大声で叫んだ」のです。これらはすべて神によって救われた者の証しです。そしてその歓喜に満ちていたであろう賛美は、「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである。」でした。父なる神と子なる神・主イエスを「救い」と呼んでいるのです。ここには、神の民イスラエルの選びを超えた全ての民の救いが明らかに語られているではありませんか。


4.すべての民が参集する出来事

   この出来事を幻で見るということの凄さを思います。現代のイスラエル国家が排外的だということとは、およそ異なる包括的な救いの理解だからです。キリスト教会が初期からこのようなインクルーシブ※な開かれた救済観をもっていたことに驚きを禁じ得ません。それに比べると、現代のイスラエル国家の排他性は残念でなりません。

    ※「包括的な」「包摂(ほうせつ)的な」「すべてを包み込む」という意味を持つ言葉です。

 最後の審判の時は、このような包括的な救済が実現する時だったのです。

 このように観て行くと、「生ける者と、死ねる者とを裁きたまわん」というような厳しい決定を、どのように考えたらよいのか、考えなければなりません。


5.砕かれ、焼かれ、滅ぶべきは罪

 さて、どうでしょうか。

 繰り返し人を欺き、盗み、殺しても、何も反省すらしない人と、小さなことでも人を傷つけた経験を悔いて、罪深い自分自身を恥じる人のどちらが、人として高潔だと言えるだろうかと、考えてみるとき、わたしたちは間違いなく後者のほうだと思うのではないでしょうか。

 自分は赦されざる者だ。塵にも等しき者だと、考える人のほうが、はるかに人として謙虚であり、神に喜ばれる人だと、わたしたちは考えます。このような人は神から自分は遠い存在だと感じています。だからこそ、このような人は神の裁きの場で、赦されるべき罪を告白できるのです。

 しかし、繰り返し人を傷つけても何の痛痒も感じない人は、神の前に立つとき、悔い改めるという精神性をもつことができないかもしれません。このような人の問題は、その精神の傲慢さです。神の裁きの前に立たされ、このような人のこの精神の傲慢さは打ち砕かれるべきだと、わたしたちは思います。神は愛の方ですから、そんな彼をも救いたいと切望しておられることは疑い得ません。しかし、彼の傲慢さを受け入れることは神が神であられる以上は不可能です。神はどこまでも愛の神だからです。神は彼を愛するがゆえに、彼の愛なき精神を打ち砕かれ、焼き尽くし、滅ぼされねばなりません。彼の人格を悪から引き離し、彼を解き放つのです。

 わたしは、「死ねる者」を裁くという意味は、神なき者から無神性を引き離し、解放するという意味に受けとめています。

 このように考えるなら、神は最終的に、すべての人を、「参集する大群衆のなかの一人」に変え、神とキリストの賛美者へと変えられるという幻は、実に感謝です。漏れる人もまた救われるのです。これが、「神なき者の救い」です。


6.人類滅亡の危険性は備えるための神の警告

  人類滅亡の危険性は、可能性として、AI研究者のあいだでは、近い将来90%の確立で起こり得ると信じられています。

 この危機を、決して侮ってはならない段階に既に来ています。 この事実を目前にして、わたしたちは、生き方を変えるチャンスを神さまからいただいていると、わたしは思っています。

 いつ世界が滅亡しても、覚悟して、世の終わりに準備しておくべきだということです。終末は近いのです。

 人類滅亡のシナリオは、永遠の命の希望を切実に祈るために、神が与えてくださった「危機」であり、その意味で恵みです。 滅亡の時期が、少しでも先になるように、祈りつつ、聖書を読みつつ、一日一日を、過ごしたく思います。

 

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