2026年9月6日(聖霊降臨節第16主日)
ガラテヤの信徒への手紙1章1節~10節
『生涯のささげもの』
1. エドガルド・モルターラ誘拐事件
エドガルド・モイターラは、1851年にボローニャ(当時はローマ教皇領)のユダヤ人家庭に生まれました。乳児期に重病を患いました。その際、一家のキリスト教徒の家政婦が、彼がそのまま死ねば地獄に落ちると恐れ、秘密裏にカトリックの緊急洗礼を授けました。 その後エドガルドは回復しましたが、1858年(当時7歳)にこの洗礼の事実が教皇庁に知られることとなります。当時の教会法では「洗礼を受けた者はキリスト教徒として育てられねばならず、非キリスト教徒(ユダヤ人)の両親が育てることはできない」と定められていたため、ローマ教皇ピウス9世の命令により、エドガルドは家族から強制的に連れ去られ、ローマの修道院でカトリックとして教育されることになりました。
両親は息子を取り戻すために奮闘し、この事件は国際的なユダヤ人社会やヨーロッパ全土の世論から猛烈な非難を浴びました。しかし教皇庁は返還を拒絶し続けました。この事件はカトリック教会の絶対権力に対する反発を強め、イタリア統一運動(リソルジメント)を加速させる政治的な契機の一つとなりました。エドガルドはその後、自らの意志でカトリックの司祭となり、1940年にベルギーで88歳で亡くなるまで、家族の元へ戻ることはありませんでした。
この歴史的事件を、ステイーヴン・スピルバーグ監督が映画化しました。『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』という作品です。
わたしは、本日の聖書を読みつつ、この事件のことを思い出しました。
イタリア王国が成立する契機のひとつともなった歴史的事件です。カトリック教会法によって、ユダヤ人家庭の幼児を誘拐し、両親・家族から引き離し、カトリック信者として育てるという現代の感覚からすれば暴挙ですが、使徒パウロが創立したガラテア教会草創期において、この事件とはまるで立場が真逆のような、教会内での信仰的混迷が発生していたと思ったからでした。
2.教会内部に発生したユダヤ教への逆風
6:キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。
「ほかの福音に乗り換えようとしている」と、また「わたしはあきれ果てている」とも語調を極めて批判しています。
キリストの愛と赦しの教えは、一言で言い表せば、「寛容の精神」と言えましょう。ところが、このパウロの言葉は、実に激越な「不寛容」の態度です。
パウロは、矛盾しているのでしょうか。
パウロが懸念しているガラテア教会の信仰の混迷は、圧倒的な「神の恵み・恩寵」(ただ信仰によってのみ義とされる:信仰義認)を信ずることによって、誰であっても「価なし救われる」という絶対恩寵の福音を、事実上否定することになる「律法遵守によってこそ義とされる」という「行為義認」という「ユダヤ教への逆行」に、信徒たちが惹かれていったという事態でした。
行為義認、律法を守ることによって得られる自己満足感はたしかに、自己自身の行為そのものですから、わかりやすかったのだと思います。行為は自分の感覚で、その達成感を得られるからです。
3.神の神となる行為義認の道
千日回峰行という「行」があります。
千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)とは、比叡山や吉野山などの険しい山々を7年間かけて延べ1,000日間歩き、心身の限界に挑む天台宗や修験道の非常に厳しい荒行です。過酷な道のりは7年間の修行で、1日約30〜40キロ、のべ約4万キロを歩き、数多くの礼拝所を巡り、行が続けられなくなった場合は自ら命を絶つための短刀や死出紐(しでのひも:首つりの紐)を携えて挑む、命がけの修行として知られています。700日を満行したあと、9日間にわたり「断食・断水・不眠・不臥(横にならない)」の状態で不動真言を唱え続ける荒行です。
こうした荒行を達成した人はごくわずかです。そして多くの人々は、「阿闍梨」と呼ばれる人を尊敬するものです。常人にはとてもできない事だからです。阿闍梨の経験した経験知はわたしたちに多くの知恵を与えてくれるものはありましょう。それを否定する必要はありません。
ただ、この荒行を達成したことによって、「悟り」の境地を得たとしても、まことに存在したもう神との関係が義とされるということなのかといえば、それは否です。人の「業」によって、神との関係が「義とされる」(義認即救い)事はありません。人の「業」によって、神と人との関係が義とされる(ただしい関係とされる)のだとすれば、その行為を行う人と神とは同等の存在、もしくは神よりも人のほうが格上の存在だと言っているのと等しいからです。このような傲慢な思想は、自分では気づかなくても、自分を神とする、もしくは神の神となるという根本動機が潜んでいるのです。
わたしたちは、天地を創造したもうた創造主なる神によって創られた被造者にすぎません。
わたしたちは、自分自身を救うことはできないのです。
4.不寛容であるべき事
さて、パウロが激越なまでに厳しく「ほかの福音」を批判・非難したのか。どうしてここまで言わねばならなかったのか。この「不寛容」の態度は、どうして出てくるのか。
これは、人類に救いをもたらす神の絶対恩寵の福音を根本から否定するものだったからです。自分たちは、アプラハム以来の天地創造の神を信じていると、主観的世界では確信しているのが、ユダヤ人ですから、ユダヤ教に逆行するからといって、創造者なる神への信仰はあるではないかと言うかも知れませんが、律法によって義が得られるという思想には、隠された神への否定が潜んでいるのです。人が人の行為によって神人関係を修復したり、確立できるとするなら、それは人が神になっている、もしくは神の神になっているからです。本人がいくら否定しても、自分自身が神に、神の神になってしまっている現実態は客観的に存在するのです。
パウロは、律法による義の思想に隠れ潜む自己神化の根本動機を見抜いていたからこそ、これこそ、まことの神への不従順、すなわち罪だと糾弾せざるを得ないのです。
「そんなに目くじらたてることはないではないか。同じ神を信じているのだから」とか、「そんな『不寛容』な態度では、教会内部がギスギスしてしまうのではないですか」とか、そんな主張をする声が聞こえてきそうです。パウロは厳格するのではないですか、とパウロの「不寛容」な態度を批判する人が出てきても不思議ではありません。
しかし、パウロの舌鋒はひるみません。「わたしはあきれ果てています。」と鋭い批判は、頂点に達します。
福音の本質・核心をないがしろにして、骨抜きにしてしまう「偽教師」の影響力を、断固として、ここで食い止めなければ、パウロがこれまで語ってきた福音が、無意味と化してしまう。ここで放置したり、黙認したりすることは、愛でも赦しでもない。罪の容認、否、罪の擁護になってしまう。パウロは信徒への激しい愛ゆえにこそ、この事態を「背信」とし断固として、ここで食い止めなければならない、そう考えたのです。
愛するがゆえに、福音を無にしてしまうことは、食い止めなければならない。これがパウロの「不寛容」な態度の動機でした。愛するがゆえに、断固として叱責しなければならなかったのです。
これぞ「牧会」です。
牧会とは魂の配慮です。信徒たちがそうとは知らずに背信の罪を犯してしまうことを食い止めることは、信徒たちを愛し、魂を救い、主イエスのもとに取り戻すことにほかなりません。そのためには、頑固として、「偽教師」たちの影響を遮断しなければならないのです。ここに一分の隙もあってはならないのです。
これが福音まもるための「不寛容」です。この不寛容こそが、神への真実な愛であり、主イエスへの真実な愛なのでした。
5.真の「寛容」の精神
どこまでも、まことの神・まことの人、主イエスへの信仰を貫きとおすことこそが、信徒の罪を赦し、永遠の命を与えるという真実の愛なのです。
この一事こそが、「われらに罪をおかす者を、われらが赦すごとく、われらの罪をも赦したまえ」という祈りの実践なのです。それゆえ、真の「寛容」はここにこそあるのです。罪を罪として明確に示し、その罪をわが事として受けとめなおし、我がこととして悔い改め、ひたすらその罪の赦しを祈り願うのです。ここに真の「寛容」があるのです。「寛容」とは罪の容認や放置ではないのです。
6.アナテマ(呪われるがよい)※
8:しかし、たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたちがあなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい。
※パウロ書簡のなかにも「私たちが伝えたのと異なる福音を伝えるものは呪われよ(=アナテマたるべし)」(ガラテア1:8)などとする用法がある。こうした異質なものへの「呪い」の意を承けて、カトリック教会を含む古代教会では、アナテマは共同体からの除名、すなわち「破門」を意味する語として用いられるようになった。その証拠に、ニカイア信条などキリスト教の信仰箇条には、異端の説を信奉する者に対するアナテマが付加されるものが見られる。
「呪われるがよい」とはなんという厳しい言葉であろうか。教会からの除名の根拠とされた箇所です。かつては、「破門」は地獄行きを即刻意味した極めて強い排除の術語です。今日では、先に「寛容」の意味について記したように、そのような意味よりも、悔い改めを促すための牧会的配慮の言葉として受けとめ直すべき術語ですが、それにしても激しい物言いです。
ただ注目すべきは、「たとえわたしたち自身であれ、天使であれ」と、自己批判や天使への批判を含めていることです。 つまりアナテマ、呪われよという術語の対象は、相手に限らない。自分自身も天使さえも含む。人によって評価を変えるような語り方をしていません。パウロの福音(信仰義認)に反するような「ほかの福音」(キリストの福音を覆すもの)を語るようであれば、自分自身であれ、天使であれ、同様に呪われるべきだという内容・事柄に集中した術語だということです。事柄が問題だというのです。人ではないのです。
この視点は重要です。この姿勢は、相手に対して、悔い改めの猶予を与えて、方向転換したならば、直ちに戻っておいでと言っているようなものです。だから、この激しい言葉でさえ、愛の招きとなっているのです。
7.寛容は同調にあらず、承認欲求にあらず
10:こんなことを言って、今わたしは人に取り入ろうとしているのでしょうか。それとも、神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、何とかして人の気に入ろうとあくせくしているのでしょうか。もし、今なお人の気に入ろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではありません。
フランツ・イェーガーシュテッターという人のことが心に浮かびました。
フランツ・イェーガーシュテッター(Franz Jägerstätter, 1907年5月20日 - 1943年8月9日)は、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツによるオーストリア併合後、ヒトラーへの忠誠とドイツ軍への入隊を良心の呵責から拒否し、死刑に処されたオーストリアの農民です。彼はカトリック信者の妻の影響を受けて聖書を読むようになり、信仰者となりました。彼はひたむきに聖書のみことばに堅く立って、「ヒトラー宣誓」を最期まで拒絶し、罪に問われ、ギロチンで処刑されたのでした。司祭までもが、ナチス・ドイツへの同調を勧めましたが、彼は同調を拒んだのです。「もし、今なお人の気に入ろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではありません。」とパウロは、真理をねじまげてまでして妥協、同調をするなら、「わたしはキリストの僕」(奴隷)ではありません。」ときっぱりと、同調という態度が必然的にもつ偽善性と距離をもちました。
また、同調姿勢というものを、承認欲求と同列に語ります。承認欲求というのは、ようするに、「何とかして人の気に入ろうとあくせく」することです。
パウロの鋭い洞察力に驚きます。誰にでも承認欲求はあります。しかし、人の承認をとりつけるために何かをなすことには、神への責任よりも他人の評価を優先するという邪悪さが潜んでいることを知っているのです。他者の評価を得たいが為に何かをするとき、神への責任(信仰)的主体であるべき自己自身が崩れてしまうからです。わたしたちは他人の評価よりも、神の審判をこそ畏れ、神からの承認をこそ祈るべきなのです。もし承認欲求があるとしたら、神との関係、主イエスとの関係においてあるべきなのです。そうでないなら、「わたしはキリストのしもべ」ではないというのです。フランツ・イェーガーシュテッターはただ神への応答責任(信仰)に生きようとして、殉教の道を選んだのです。
8.生涯のささげもの
ささげものと言っても、それは「物」ではありません。わたしたちのささげものとは、私たち自身だからです。「生涯の」と言っても、それは短くも尊い人生の時間の長さのみを言っている訳ではない。フランツ・イェーガーシュテッターは反キリスト・ヒトラーへの宣誓を拒み、殉教しました。36歳の若さでした。短い生涯です。しかし、彼の殉教の瞬間は、「永遠」をたたえた「今」でした。 わたしたちの「今」「ここで」の瞬間も、「永遠」をたたえています。いま・ここで主イエスへの信従の思いをもって生きるとすれば、それは「永遠の今」であり、わたしたちは、キリストへの「生涯のささげもの」をささげているさなかなのです。