2025年12月24日クリスマス・イブ宣教
『占星術の学者たち』
占星術の学者たちは、遠くは、おそらくメソポタミアからはるばる旅をしてきたのです。
聖書には三人の学者とは明記されてはおらず、黄金、乳香、没薬という3種の贈りものの数からの想像で、いつしか三人の学者という伝承になったと言われています。
ですのでこの一行の規模がどれほどであったのかも想像するしかありません。遠路の旅程ですから、食糧を供給するための家畜や、それを世話をする人々を含めると考えたほうがよいのではないか、とわたしは考えます。
しかも、この一行が長旅を無事に終えることができたのは、この一行が、盗賊や獣の襲撃にも耐えることができる力をもっていたのだと推測することができるとも考えます。ある意味で、それ相当の権威を保持しつつ旅をこえてきたと思うのです。
いきなり王ヘロデに謁見を申し出て、ただちに会談していることも、この学者の一行が、それなりに権威を認められていることを示唆しています。ですので、学者ではなく王だという伝承もあるのは、このような事実から出ているのでしょう。
しかし、占星術のもしくは占星学という知見の結果、彼らが王の出現を予見したという確信を、王ヘロデにいとも簡単に披瀝してしまうのはどういうつもりだったのか甚だ疑問を抱かざるをえません。
実際、王ヘロデは,自分の王たる地位を脅かす存在だと考え、嬰児殺害を命ずるのです。考えたら、学者たちの行為は、あまりに軽率ではないか、と訝しく思うのです。なぜこんな愚かなことをしたのでしょう。
考えられるのは、学者たちが「礼拝」しようと遠路はるばる困難をこえてやってきたのは、ヘロデ王のごとき俗権力の意味における「王」を探してきたからでは、まったくなかったということです。ヘロデ王のような権力欲に取り憑かれた人間の欲望起源の「王」など、彼らには考えることすら不可能だったということです。彼らが「礼拝」しようとしているのは、この世の王ではないということです。人間の王に礼拝などする必要もないからです。彼らは、「王の王」たる、この世の「王」ではない、全宇宙の「王」の降誕を「礼拝」しようと、やって来たのです。
ヘロデ王が考えた「王」なのではなかったのです。それなのに、ヘロデにしてみれば、自分のはかりでしか考えることができない俗物ですから、「王」といえば、競合相手としか考えないのです。
学者からみれば、想像もできない錯誤です。全宇宙、全人類の「王の王」は、神ご自身であるという確信を彼らは持っていたということになります。この世とは比ぶべくもないのです。ですから、ヘロデ王に平気で、尋ねてしまえたのです。彼らからすれば、誤解の余地などなかったのでした。
彼らは異教世界からの旅人でした。
彼らは星辰信仰の世界で生きていた人々です。天体と人間の命運には深い関わりがあると信じていた人々です。彼らの天体に関する知識は当時の世界では再考水準でした。ただ肝心なことは、異教世界の信仰のなかで、彼らは、創造主なる神の子の受肉を知り得たという事実です。
彼らは、異教世界にいながらにして、異教をはるかに超越した信仰を告白したのです。
そして、彼らにまことの神ご自身がご自身を啓示したもうたのです。ヘロデのもとに帰らず、彼ら自身の故郷へと帰ったのは、神ご自身の啓示によったのです。
この占星術の学者一行の礼拝の旅は、幼子主イエスが、神の受肉であり、全宇宙、全世界の救い主でありたもう事実を、全世界の人々に、神は啓示したもうという奇跡を示していたのです。
それゆえ、この事実を「エピファニー(顕現、公現)」と呼び、全世界の人々の救いの前味として祝うのです。 (公現日は1月6日)
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