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2026年7月25日土曜日

 2026年7月26日 (聖霊降臨節第10主日)

コリントの信徒への手紙Ⅰ12章14節~26節

『キリストの体』

                  『キリストの体』
               コリントの信徒への手紙Ⅰ12章14節~26節
14:体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。
15:足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。
16:耳が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。
17:もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。
18:そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。
19:すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。
20:だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。
21:目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。
22:それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。
23:わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。
24:見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。
1. 奴隷制時代の術語だった「奴隷」の同義語としての「体」
     「奴隷」の同義語は、「身体」(ソーマ)である。 古代ローマの奴隷は、自らの意思で自分の身体を自由にする権利をもたない。奴隷の身体は、主人のものである。奴隷の身体は、主人の代わりに懲罰を受け、主人に名誉と利益を還元する。奴隷とは、主人の影武者のような存在であり、自分の意思の自由を持たない身体にすぎないと考えられた。『古代ローマの奴隷制とコリントの信徒への手紙一』福嶋裕子
  コリント教会の信徒には、男女の自由人と男女の奴隷の存在を認めることができるという。
 コリントは紀元前146年にローマによって滅ぼされ、紀元前44年にユリウス・カエサルがローマ植民都市(Colonia Laus Julia Corinthiensis)として再建するまで荒廃に帰していたが、クラウディウス帝の治世(41-54年)までにローマ都市の外観をもつ建築が急増し、ローマの元老院属州アカイアの首都であった。ローマは奴隷制によって社会が成り立っていたから、コリント教会の信徒たちは、一歩教会の外では、自由人と奴隷という厳重な身分の差が存在しているなかを生きていたのである。
 この時代、「奴隷」(ドウーロス)と「体」(ソーマ)は同義語であった。つまり、奴隷は奴隷所有者の「体」の一部とみなされていたのである。奴隷は、「身体」として数えられ、家の財産管理目録に記録されていたのである。

2.所有者の「体」でしかなかった「奴隷」
 古代ローマにおける奴隷の人口は、帝国全人口の15% から20% と推定されています。帝国全人口で考えると八人に一人は奴隷だったと言うのです。一般に古代の百万人都市ローマには、三十万人の奴隷がいたと言われています。古代ローマ世界は、奴隷制によって成り立っていたのです。
   奴隷を入手する方法は三つありました。第一は奴隷を「贈物、遺産相続、購入」によって獲得すること。第二は自分の所有する「女性奴隷が、子どもを産むこと」により、奴隷が増えて行くこと。第三に、これが最古の方法で、戦争により「捕虜となった者」を奴隷とすることでした。
  奴隷の立場に置かれた人々にとって、世界は苛酷だったに相違ありません。人生は暴力に常に脅かされていた日々の連続だったでしょう。奴隷は所有者の財産。モノにすぎないのです。犯されても殺されても文句一つ言えない境遇なのです。
 『グラディエーター』(原題:Gladiator)という映画あります。この作品でローマ軍団の将軍であった者でも奴隷へと落とされてしまうことが描かれていました。自由人と奴隷は移行することがあったということです。しかも自由人も系図を辿ればもとは奴隷だった人も多かった。しかし、奴隷身分から解放されるのは、所有者の意思ひとつにかかっていたので、自分から自由人になることは困難でした。
 コリントの教会には、おそらく男女の少数の自由人、解放奴隷、そして奴隷、さらには神殿娼婦だった女性も含めていたのではないかと想像されます。

3.ローマ市民はなぜ「特権」を棄てた?
   奴隷所有者の財産でしかなかった奴隷の人たち、解放されたとはiいえ蔑みの対象からは免れず差別されていたであろう解放奴隷の人々と、自由人の間には、葛藤はなかったのでしょうか。
 いやそもそも、奴隷の人々と同じ信仰共同体に自由人たちはすすんで洗礼をうけて「兄弟姉妹」として交わり、「聖徒の交わり」に加わることができたのは、どうして可能になったのでしょうか。社会的差別意識をもったままでは、それは絶対不可能だったと思います。
 自由人、自由市民と言ってもよいと思いますが、パウロ自身ローマの市民権を持っていた人でした。彼はキリスト者となったいまは、そのことを「糞土」のようだと言い放っていますが、彼自身がそのように、「特権」を完全に捨て去っていることはともかくも、パウロの福音を聴いて、ナザレのイエスを主と信じたローマ帝国市民たちが、パウロ同様に,自分たちの特権を完全に放棄して、奴隷身分の人たちと完全に同等、平等の交わりに入ろうと決断したのには、いったいどのような心の動きが、彼や彼女のなかに生起したのであろうか、わたしにはとても不思議に思えるのです。
 奴隷制度が、制度であって、約束事、暗黙の了解事項の共有によって成り立っていたことは明らかです。最も古くからある方法、つまり戦争捕虜を全部奴隷にしてしまうことによって奴隷とした。勝者が敗者を家畜同様の「モノ」」とみなしたことに始まりました。この制度は肌の色の違いは関係ありませんし、言葉の違いも文化の違いも関係ありません。ただ戦争の戦利品として人をモノとして扱ったことに始まりました。
 かつてはモノにすぎなった人、誰かの所有物でしかなった人を、自分自身のかけがえのない家族として、兄弟姉妹として愛し愛される存在と、心から信じ受け入れるようにされた。そういう出来事がローマ市民に生起したということです。
 この出来事は、人間的動機から説明できません。正義漢とか、理想主義とか、自分が善人でありたいとか、そんな動機が長続きするとは到底考えられません。ローマ市民のなかにしみついていた社会的差別意識を完全に粉砕し、融解させてしまう出来事だからです。人間的動機からはただ不可解としか言いようがない事が起こったのです。
 神の出来事としか説明できません。そう言っても説明にはならないのかもしれませんが、とにかく、人間の罪を消去する出来事が起きたことは間違いありません。だから神の出来事としか言いようがないのです。

4.被差別者に生起した赦しの出来事
   神の出来事は、差別・暴力を日常的に受け続けていた解放奴隷や奴隷身分の人々にも起こったと言わねばなりません。
 それまで、生かすも殺すも奴隷所有者の胸先三寸という暴虐を受けていた被差別者の心は、どうであったでしょうか。
 何をされても抗うことが許されない状況に置かれていた人々は、恐怖・不安が日常化していたに相違ありません。その人々が横暴をほしいままにしてきたローマ市民たちをこころの内では軽蔑し、憎んでいたのではないかとわたしには思えるのです。そんな人々が、権力者として抑圧してきた人々を、神の家族として、心から受け入れ、同じ神の子として「兄弟姉妹」の交わりを、どうしたら保てるでしょうか。
 心の中に「わだかまり」が残っていても不思議ではありません。日常的に抑圧者の立場にあった人を、簡単には受け入れられないのは当然ではないでしょうか。
 被差別者の人々が差別者を赦し、こころから愛する家族として受け入れられる出来事が生起した。この出来事が生起したのでなければ、被差別者の人々は洗礼をうけはしなかったのではないでしょうか。
 この容易ならざる全人格的な赦しの決断が生起したのことは間違いないと思います。この出来事は人間的な動機では説明できません。恨みや憎しみの感情は容易に消え去りはしないからです。だから、やはりこの人々にも「神の出来事」が起きた、としか説明できないのです。

5.抑圧者の「体」(奴隷)ではなく「キリストの体」 なる教会
  パウロは、自らをキリストの僕(奴隷)と称しました。「罪の奴隷」であった自己をキリストに買い取られた(贖われた)「キリストの奴隷」だと言ったのです。
 忌まわしい意味でしかなかった「奴隷」という言葉を、「キリストの奴隷」と言い換えることによって、「罪から真に解放」し、真実、神の前に自由にされた存在を意味する言葉に、言葉を換えたのです。
 言葉を換えれば、現実も変わるのかと言えばそうではありません。現実こそが変えられているからこそ、言葉が現実に対応するのです。
 奴隷身分の人々は奴隷所有者の財産でしかありませんでした。生殺与奪の権利を抑圧者によって握られていました。自分自身は自分自身の自由にはならない奴隷所有者の「体」=「奴隷」でした。
 しかし、主イエス・キリストによって、「罪」の縄目から解放されたという現実が、信仰によって生起したいまは、自分自身の命は、キリストの「体」となったのです。自分自身のうちには、真実の主人であられる主イエス・キリストが現存しているのです。それゆえ、「私」はもはや「私」ではなく、「私のうちにキリストが生きておられる」から、「私はキリストの体(奴隷)」なのです。キリストの奴隷は、あらゆる抑圧者にとっても、決して従属・依存しない、神の前に独立したかけがえのない尊厳をもつ存在とされているのです。この現実が現に起きているので、わたしは、地上のいかなる権力の前にも屈従する必要はもはやないのです。そうであるからこそ、地上においては、たとえ奴隷所有者であろうと、完全に人として対等・平等な存在だという確信が揺るがないのです。もはや、抑圧者を恨むことも、憎むことも必要としないのです。愛するのです。
 こういう現実が生起したと考えざるを得ないのです。

6.神々の妻として生きてきた神殿聖娼に起きたこと
  コリントのアクロコリントス神殿には、千人もの神殿聖娼がいたと言われます。神々に仕える女性であり、神殿で神々を崇拝する行為をしに来る不特定多数の男性と「みだらな行為」を生業としていた女性たちです。
 このような過去をもつ女性もキリスト・イエスのこどもとしてキリストの教会へと受け入れられていたとも考えられるのです。  この女性たちにも、神の出来事は生起したはずです。主イエスの福音を信じて洗礼を受ける決心をした彼女たちは、「みだらな行為」によって神々と交わるという「異教の信心」を棄てる決心をしたはずです。もはや、かかる「みだらな行為」をしなくともよいし、したくはないと彼女たちは、自分自身の「からだ」を清く保つようになったはずです。
 彼女たちは、生業を棄てました。それでその後、どうやって生きてゆこうとしたのでしょうか。聖書には、沈黙していますが、彼女らが過去の行為を心ならずも生きるために再び繰り返すことを、教会は決して望むはずはないと、わたしは考えます。
 わたしは想像するのです。彼女たちに生きる術を、教会は家族として真剣に考えたはずだと。そうであれば、そこから「福祉」という事柄の原初的な働きが生まれてきたのではないか。そう思えてくるのです。教会から、教育や福祉が始まったのは、神の家族として互いに愛し合う交わりを現実としてゆくためだったと思うのです。 愛する姉妹たちに、二度と「みだらな行為」をさせてはならない。兄弟姉妹ならば、そう考えるの当然でしょう。
 いまも、聖霊の働きは、絶えることなく継続しています。貧困に苦しむ人々、災害にあって苦難を経験する人々、戦火のなかで困難を抱えている人々を、基督の体として、すなわち私の体の一部として愛するように愛する働きが続いているのです。

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