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2026年6月21日日曜日

 2026年6月21日(日)(聖霊降臨節第5主日)

使徒言行録13章1節~12節

『宣教への派遣』(聖書日課による)

                聖霊による派遣
                    使徒言行録 13章1節~ 12節
1:アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた。
2:彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。」
3:そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた。
4:聖霊によって送り出されたバルナバとサウロは、セレウキアに下り、そこからキプロス島に向け船出し、
5:サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神の言葉を告げ知らせた。二人は、ヨハネを助手として連れていた。
6:島全体を巡ってパフォスまで行くと、ユダヤ人の魔術師で、バルイエスという一人の偽預言者に出会った。
7:この男は、地方総督セルギウス・パウルスという賢明な人物と交際していた。総督はバルナバとサウロを招いて、神の言葉を聞こうとした。
8:魔術師エリマ――彼の名前は魔術師という意味である――は二人に対抗して、地方総督をこの信仰から遠ざけようとした。
9: パウロとも呼ばれていたサウロは、聖霊に満たされ、魔術師をにらみつけて、
10:言った。「ああ、あらゆる偽りと欺きに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、お前は主のまっすぐな道をどうしてもゆがめようとするのか。
11今こそ、主の御手はお前の上に下る。お前は目が見えなくなって、時が来るまで日の光を見ないだろう。」するとたちまち、魔術師は目がかすんできて、すっかり見えなくなり、歩き回りながら、だれか手を引いてくれる人を探した。
12:総督はこの出来事を見て、主の教えに非常に驚き、信仰に入った。

1.アンティオキア教会の人々
   ここに挙げられている人たちの多様さは驚嘆すべきものがあります。ここにはアンティオキア教会の指導者として5人の人が挙げられています。
   バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロの5人です。
 この人たちは、預言者、教師という立場の人ですから、実際はもっと多くの人たちが、このアンティオキア教会にはいたことでしょう。この6人を観ると、実に多様なのです。
 アンティオキア教会は、まず肌の色で人を差別していません。
 ①ニゲルと呼ばれるシメオンは黒人だと言われています。ニゲルというのは肌の色が黒いという意味です。また出身地のよる差別もなかった。②キレネ人のルキオは北アフリカ、現在のリビア出身ということになります。この人も黒人でしょう。③出自・階級による差別もなかった。マナエンは領主ヘロデ・アンテイパスと一緒に育ったというのであるから、幼なじみと言って良い境遇の人です。この人はユダヤ教とから迫害されているクリスチャンの道を自ら選び取ったことになります。権力者の幼なじみですから、それなりに裕福な家に育ったはずですが、個人財産を放棄して原始共産制の共同体に加わったことになります。ですから階級による差別はなかったのです。④地元の人もデイアスポラの人の差別もなかった。バルナバはキプロスの出身です。彼はサウロ(パウロ)と共に宣教へと派遣されることになりますが、派遣先はキプロスですから、地元へ向かうことになります。同行したマルコと呼ばれていたヨハネはバルナバの甥(従兄弟)らしいのでやはり出自は地元かもしれません。(「コロサイの信徒への手紙」4章10節では、マルコについて「バルナバのいとこ(従兄弟)、」という表現が用いられます。育ちはエルサレム。)様々な地から集まってきた人々が主イエスによって兄弟姉妹となっていたのです。⑤そしてサウロ、すなわちパウロです。呼び方が9節から変わっています。以後はパウロという名前で登場することになります。彼は迫害者から主イエスの弟子に変えられた人です。つまり、元は敵対者だった人ですが、そういう人を教会は受けいれただけではなく指導者、宣教者としての務めを託していたのです。
   原始キリスト教会が、このようなダイバーシテイを実現していたという事実は、驚嘆に値します。
 二千年後の現代でも、実現できないでいるのですから。

2.聖霊の啓示
   預言者といっても、旧約時代の預言者とは意味が違うとは思います。聖霊の言葉が告げられたことが記録されているので、おそらくは、この預言者は、聖霊のお告げを教会に告知するという賜物をいただいていたのでしょう。
 かしこまって、聖霊のお告げと言明していたかはわかりませんが、共同体全体が、聖霊の告知として、パウロとバルナバの派遣を認識したということは確かだったのでしょう。
  聖霊の告知内容は、パウロとバルナバを宣教者として選任せよという命令。そしてその選任は、聖霊が予め定めていたという事でした。この選任について、異論があったという記録はありません。教会は教会として決断するという手続きは踏んでいるはずですが、一貫して聖霊の意志がこの間のイニシアチブを取っているという信仰理解で貫かれています。
 そして教会は、断食してから二人に按手をして送り出しました。派遣の祝福です。派遣の主体は神である聖霊なのです。

3.宣教者・旅の人
   二人は、陸路南西の港町セレウキアに出て、そこから西へ海路を航行してキプロス島のサラミスに上陸します。  サラミスではユダヤ教の諸会堂で、宣教を開始します。マルコと呼ばれるヨハネを助手に加えて、島全体を巡回しつつ宣教を続けたようですが、各地での宣教の結果については、触れられません。およそ100キロ西へと進み、島の西岸の町パフォスにまで辿り着きます。ここで、偽預言者とめぐりあうことになりました。

4.偽預言者バルイエス、魔術師エリマ
   偽預言者とルカははっきりと表現しています。これは、パウロたちが宣教する以前の異教世界の宗教的指導者のことでしょうが、パウロらにしてみれば、ただお一人のまことの神以外の神々の世界の指導者は、おしなべて「偽預言者」とみなされていたでしょうから、そのようにルカは表現するほかはなかったのでしょう。記録すべきは、福音の使徒の言行録ですから、宣教の途上での異教世界との接触はいきおい「対決」にならざるを得ないのでしょう。
 ですので、いきなり「偽預言者」と見なされる訳です。ただバルイエスという名の意味は「イエスの子」だそうですから、なんとも紛らわしい。主イエスとは何の関係もないです。イエスという名は珍しい名前ではなかったので、「イエスの子」と言っても珍しい名でもなかったことでしょう。考えてみれば、名前というのは不思議なものです。同じ「イエス」という名前の人が当時は相当いたはずですから、こういう紛らわしさは珍しくはなかったと思います。それでもイエスの名には力があった。だから、名前は単なる音声の連続ではないということなのでしょう。信仰をもってイエスの名によって指し示されている「まことの神」さまが名前をして力あるものにしているということでしょう。
 さて、紛らわしい「バルイエス」と出会ったとありますが、そのときの「接触」はどのようなものであったことでしょうか。

5.偽預言者との接触から総督まで
   バルイエスはキプロスの地方総督と「交際」していたとあります。どういう関係性だったのか。配下として働いていたのか、あるいは時に応じて召し出されて神々の託宣を語っていたのか。「交際」の中身までは想像の域をでません。しかし、ある意味、この人物を仲立ちとしてパウロとバルナバは、地方総督セルギウス・パウルスと面会できたことになります。
 そうだとすると、最初の出会いは、そんなに険悪なものではなかったのかもしれません。バルイエスのほうでも、パウロ一行を好意的にセルギウス・パウルスに紹介したかもしれないのです。それがいったいどうした変化が両者のあいだに生まれたのでしょうか。バルイエスの方から、パウロ一行が、総督に宣教をはじめだすと、邪魔をするようになったのです。どういう心境の変化が起きたのでしょうか。自分の立場が脅かされるという脅威を感じたのでしょうか。「二人に対抗して、地方総督をこの信仰から遠ざけようとした。」とルカは記しています。

6.態度急変の心理
 最初は近づけ、後になって遠ざけようとする。この態度の急変に至る心境の変化はいかなるものであったのでしょう。
 はじめのうちは、一時の旅人、同業者でも旅人として歓迎したのかもしれません。一時的な滞在だからこそ、もてなすという心理です。ところが、パウロ一行の話を総督が熱心に聞く姿勢が見え始めてみると、またその話の内容が自分の信奉する世界と真っ向から衝突するものであると理解し始めると、このような教えに総督がかぶれると自分も自分が信ずる霊的世界も否定されてしまうと危機感を抱くようになった。それで、なんとかこの二人を総督から引き離す必要がある、と感じだしたのではないか、そんな風に思うのです。

7.対決
   こうして、パウロ一行とバルイエスすなわち魔術師エリマは対立した。バルイエスすなわち魔術師エリマとは対立したのでした。先に魔術師エリマの方から、遠ざけようとするという行動に出たのです。
    9: パウロとも呼ばれていたサウロは、聖霊に満たされ、魔術師をにらみつけて、
    10:言った。「ああ、あらゆる偽りと欺きに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、お前は主のまっすぐな道をどうしてもゆがめようとするのか。
    11今こそ、主の御手はお前の上に下る。お前は目が見えなくなって、時が来るまで日の光を見ないだろう。」するとたちまち、魔術師は目がかすんできて、すっかり見えなくなり、歩き回りながら、だれか手を引いてくれる人を探した。
  こういう宣教もあるのかとばかり、多少びっくりしてしまいました。正面からの真っ向勝負とでも言ったらよいでしょうか。
 要するに、お前は失明するぞと言った訳です。そうしたら本当に失明してしまったという出来事です。

8.地方総督セルギウスの入信
    12:総督はこの出来事を見て、主の教えに非常に驚き、信仰に入った。
   もともと、この人物は、パウロ一行の話を聴こうという開かれた精神の持ち主だったと思いますが、彼が入信したのは、パウロの宣教の言葉を聴いた結果だったからではなく、魔術師エリマがパウロの言葉どおりに本当に失明してしまったからでした。
  こういう信仰の道への入り方ということもあるのだなと、当惑しないではおれません。驚きです。
 どう理解したらよいのか戸惑います。「主の教え」には、こういう事も含まれるのかと驚かざるをえません。
 言うなれば、福音宣教を妨害する者への直接的な懲罰を言明すると、実際に懲罰の出来事が起きてしまうというのです。恐ろしきかな宣教の威力。
 こんな恐ろしい力を発揮する出来事を目の当たりしたら、驚くのも当然です。でも、こういう宣教を毎回していたら、人々は怖れなして、かえって遠ざかってしまうのではないでしょうか。
 聖書は、この出来事もパウロが聖霊に満たされて実行したと記していますから、神の意志が働いていたことになります。神さまの意志ですから、文句は言えません。
 しかし、実際に宣教の最前線では、こういう奇跡もあったし、希望でもあったのでしょう。こういう場合も、パウロは救済の道を忘れてはいません。「時が来るまで日の光を見ないだろう。」との一言を付け加えています。これは救いです。相手のことを、赦し、愛し、いたわる言葉を忘れてはいないのです。「時が来れば」と、つまり、悔い改めのチャンスを与えているのです。
 これは猶予期間です。バルイエスは「時」を与えてもらったのです。失明は、その間、暗闇のなかで、彼は自分自身を振り返り、内面世界をみつめる猶予を与えられたのです。失明は、その意味では、彼の救いのためには恵みになるのではないしょうか。そう考えると、失明は、必ずしも単なる懲罰ではなくなります。かえって、悔い改めを促すための恵みになります。それまで見えなかった世界が闇の中で見えるようになるために。
                  アーメン

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