2025年1月26日(日)公現後第3主日
マタイによる福音書4章12節~17節
「宣教の開始」
付知教会 午前8時30分
坂下教会 午前11時
田瀬教会 午後2時
田瀬教会での宣教
洗礼者ヨハネが投獄されたことを知り、主イエスはガリラヤへと退かれたという。
このさりげなく挿入された一言から重要な意味を読み取らねばならない。
主イエスの先駆者たる洗礼者ヨハネの使命は、その生涯と死においても、罪なき者であるにもかかわらず処刑される義人の死をもって、主イエスの先駆となることであった。
ヨハネの投獄は、主に先だって死出の旅路を意味していたことを、主イエスもヨハネも、両者が別々の道を歩きつつも、聖霊の導きのうちに、明らかに覚知していたであろう。
ゆえにヨハネは一切の弁明もせずに、理不尽極まりなき斬首を牢獄で待ったのだ。
ヨハネの死を間近に感じ取った主イエスは、御自らもまた、十字架へとの明確な道をまっしぐらに突き進まれた。
ガリラヤへの道は、その十字架の死への旅路へと続く、前哨戦としての宣教の旅であったのだ。
主イエスの宣教は、すべてがこの十字架の死と復活という救済の出来事を指し示す比喩に他ならなかったからである。
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